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■予防医療について■
●新田論先生の「現代医療について」記述された作品のコピーです● Chapter
334 病気の実体 自分が消えて行く。 死とは自己の消滅であり、真の悟りであると言えるでしょう。 自己の消滅とは全体の体感に外ならないわけで、従って死とは全体の体感であると言っていいでしょう。 結局の処、わたしたち人間だけが愚図愚図悩んでおるのは、全体を体感していないからであって、卑小な自己に拘る結果であると言えます。 従って、「自分が、自分が・・・」という想いが、自分の内に湧き上がってくる限り、人間は悩み続けることになるのです。 眠りの中でしか夢を観ることのできないのは、卑小な自分に拘っているからで、全体を体感することが出来れば、眠りの中だけの夢ではなくて、目が醒めている間も夢を観ていることがわかり、逆に言えば、眠りの中でも、目が醒めている間の所謂現実の世界が展開されていることもわかるのです。 眠っている間に病気が進展することがよくあります。 冬になると風邪をひくのは殆どが眠っている間の出来事です。 生理学的には、身体のダイナミズムが低レベルにある睡眠状態につけ込んだ病原が暴れ出す結果発病するわけです。 従って、発病することを避けたいなら、眠らずに先ず体に侵入した病原を取り除くことをしなければなりません。 世間に出れば、いろいろな風邪の病原を持っている人がうじょうじょいるわけですから、その病原から逃れることは不可能です。 しかし、世間から家に戻ってきたら、すぐにうがいをしたり、手をよく洗うことによって病原を排除することはできるわけで、それをしないで身体のダイナミズムが低レベルになる睡眠状態に入るから、病原と自分の身体の自然治癒力との闘いの結果、治癒力が負けて晴れて発病とあいなるわけです。 悩みというものも精神の病気であって、悩みという病気を起こす病原が世間にはうじょうじょあって、毎日どっさり持ち帰ってくるのです。 会社で上司とうまくいかなったと言っては、悩みの病原を持ち帰る。 彼女や彼氏と喧嘩しては、悩みの病原を持ち帰る。 事業がうまく行かずに借金が膨らみ、倒産するかもしれないと悩む病原を持ち帰る。 うがいをするか、手をよく洗うといった病原を取り除く作業もしないで、眠りに就き、晴れて心配した通り発病する。 精神の病気も、肉体の病気も、メカニズムは全く同じですから、精神のうがいをすること、手をよく洗うことで悩みの発病を防ぐことはできるのです。 病原から逃れることは生ある限り不可能です。 しかし発病を防ぐことは可能です。 わたしたちの身体にはしょっちゅう精神の病原も、肉体の病原も侵入してきているのです。 風邪をひくのは、発病させるからです。 癌になるのは、発病させるからです。 悩むのは、発病させるからです。 発病する前に、病原を取り除く作業をすれば病気にはならないのです。 病気とは、病原が侵入することではなく、発病することなのですから、発病さえさせなければ、たとえ病原が身体内にあっても病気ではないのです。 癌細胞が身体内で発生していても、発病しなければ癌に冒されてはいないのです。 悩みの原因が精神内で発生していても、発病しなければ悩んではいないのです。 発病もしていないのに、自分から進んで病院に行って検査をする、そして無理やり病原を発見して、晴れて病気だと宣言され、薬を飲み、手術をして、本当に発病する。 検査を診断の主体に置いた現代西洋医学は、発病もしていないのに、無理やり発病させる、発病大量生産工場と化しているのです。 精神病の大量生産工場も誕生してきて、人類総精神病患者になる日も真近でしょう。 病原が身体に侵入するを以って病気というのではなく、発病することによって病気になったと考えるべきです。 発病することではじめて身体が治療をしてくれとシグナルを送るわけで、治療はそれからしても遅くはないのです。 悩みの原因は生きている限りいくらでも発生して身体の精神部分に侵入するけれど、むやみに検査をしていじくることさえしなければ、発病を防ぐことはできるのです。 情報が個人に大量に与えられる現代社会ですから、ますます病原の侵入を防ぐのは困難な時代になっています。 それだけに、発病させない心構えが非常に大事です。 それが出来るのは、医者でも宗教でもありません。 自分自身の努力によって得る知恵しか、発病を防ぐ方法はないのです。 四六時中夢を観ていることを認識することで、知恵の芽はその姿を現わしてくれるのです。 Chapter
335 真の医術 病気の原因である病原菌を目の敵にしているわたしたちですが、彼らもわたしたちと同じ生き物です。 エイズウィルスも癌細胞も、わたしたちと同じ生き物です。 ライオンとシマウマと草木は食物連鎖の一環であって、それぞれお互いに必要欠くべからざる存在であるのと同じように、病原菌も食物連鎖の一環の存在であってそれなりの存在価値があるから存在しているのです。 シマウマはライオンを悪魔の存在と思っているでしょうか。 それなら草木を食い荒らすシマウマは、草木にとって悪魔の存在である筈ですが、草木はそうは思っていないように見える。 草木にとってはシマウマの存在など眼中にないように思えてなりません。 しかしシマウマにとって草木は重要な食物ですから、無視はできません。 ライオンにとってシマウマは重要な食物ですから、無視はできません。 食物連鎖の法則からみれば、草木にとってライオンやシマウマの屍は重要な食物ですから、無視はできない筈です。 では草木は、ライオンやシマウマを意識しているのでしょうか。 そうは思えません。 ライオンもシマウマも草木も、食物連鎖の環の中の一通過点に過ぎない存在、つまり食物連鎖という法則が全体であって、ライオン・シマウマ・草木という実在するものは一部分であるわけです。 一部分には一部分の意識があっても、全体の意識がない。 法則といった概念が全体であり、物質−想いも含めてエネルギーを有する波動体−のように実在するものが部分でしか在り得ないわけですが、これは非常に重要な真理であります。 シマウマにとってライオンは天使でもないが悪魔でもないのです。 草木にとってシマウマは天使でもないが悪魔でもないのです。 ライオンにとって草木は天使でもないが悪魔でもないのです。 人間にとって病原菌は天使でもないが悪魔でもないのです。 これが全体の意識の基本であります。 全体の意識こそ愛であり慈悲であると言っていいでしょう。 従って、エイズウィルスも癌細胞も愛であり慈悲であるのです。 わたしたち人間が病気になって死ぬのも、食物連鎖の一環であることを忘れてはいけません。 病原体が身体に侵入するを以って病気と診断するのではなくて、発病するを以って病気とするのが自然の摂理に適っているのです。 ライオンがシマウマを食べ、シマウマが草木を食べ、草木がライオンやシマウマを食べるのと同じように、病原菌がわたしたち人間を食べているのを以って病気と判断してはいけないのです。 お互いの身体の中に侵入するということは、食物連鎖の一環として機能していることに外ならないのです。 死ぬという出来事は、別の次元の話であります。 病気に因って死ぬことは事実ですが、それは発病したことに外ならないのであって、厳密に言えば、病原体が身体に侵入するということは食べる食べられる食物連鎖の一環であるのに対し、発病こそが死に繋がる出来事であるのです。 従って、病気とは発病を以って病気になったと診断されるべきです。 病原菌が身体に侵入するということは、わたしたちが毎日食事をするのと同じ出来事なのです。 それを発病もしていないのに病院にわざわざ行って検査をし、病原菌が侵入していることを発見し、それを除去するのは、食物連鎖の一環行為を邪魔することに外ならないのです。 風邪のウィルスはしょっちゅうわたしたちの身体の中で住んでいるのですが、発病するのは過度の睡眠不足や疲労が原因であるわけで、ウィルスはそのきっかけをつくっているだけです。 病原体を排除するということは、病原菌の駆除ではなくて、常に自然の治癒力を発揮させる状態に自分の身体を維持することで、発病させないようにすることだと言っていいでしょう。 医術とは、まさに自然治癒力を如何に発揮するかの方法論であるのです。 自然治癒力を発揮する生き方をするのが病気にならない、つまり発病させない基本です。 それはわたしたちひとりひとりの心構え次第であって、医者次第ではないのです。 そういう点において、検査に依存する現代医学は自然治癒力を発揮させる医術ではなくて、自然治癒力を剥ぎとる呪術であると言わざるを得ません。 Chapter
336 自然治癒力とは 健全な肉体に健全な精神が宿るとよく言われます。 まさに自然治癒力が活発に機能する身体が健全な肉体であり精神であると言えるのではないでしょうか。 人生における悩みとは精神の病気であって、本来具わっている筈の自然治癒力が普通に機能していたら悩む筈がないわけです。 ただ病気の原因つまり病原体は常に身体内に侵入しているのですから、少しでも油断すると発病する危険はある。 病気の原因が身体内に侵入するのを防ぐ方法はありません。 食物連鎖という自然の法則に則して身体内に侵入しているのですから、風邪のウィルスもエイズウィルスも癌細胞も人間と共生関係にあると判断したら、身体内に侵入してきます。 それを拒否したら、自然循環の法則から逸脱して、却って深刻な事態を招いてしまいます。 それよりも、身体内に侵入して共生関係を構築している病原体と仲良くすることが大切です。 ところが共生関係を構築している相手であっても、ぼろぼろの肉体と精神の持ち主だと嫌気がさしてきます。 そうしますと、彼らは共生関係を破棄しようとします。 つまり相手に対して拒否反応を示すようになってきます。 それが発病という形で現れ、相手に警告を発します。 「このまま、ぼろぼろの肉体と精神を維持するなら、あなたの身体を拒絶しますよ?早く自然治癒力を発揮して健全な肉体と精神を取り戻しなさいよ!」 病原体はそうわたしたちに訴えます。 わたしたちが、そこで彼らの愛の訴えを聞く耳を持っていると、正しい生活を取り戻そうとする意志を発揮し、健全な精神を先ず回復させます。 病原体は、そうすると納得して拒否反応を止め、再び共生関係に戻す結果、わたしたちの肉体は健全に戻るのです。 ところがせっかく愛の訴えをしている彼らの所在を確かめる為に病院に行き、検査をして、挙げ句の果てに除去しようとすると、彼らはますます拒否反応を示します。 人間同士の戦争も、まさに同じメカニズムで起こるわけで、結果はどちらかが死ぬまで闘い続けることになるのです。 そう考えますと、わたしたち人間の上に起こっているすべての不幸は、同じメカニズムに基づいて起こっていることがわかってきます。 生きているということは、すべての生き物のみならず、存在しているものすべてが共生関係にあるのです。 それを、お互いに、若しくは一方が拒否反応を示した処に起こるのが不幸であるわけです。 人間以外の生き物には、不幸の概念も幸福の概念もありません。 彼らの死は食物連鎖の法則に則した死であるだけですから、不幸な死など有り様がないし、従って幸福な死なども有り様がないのです。 だから彼らには死という概念がないのです。 死という事実は厳然と在るのですが、死という概念はないのです。 彼らにとっては死は死ではなくて、ただ消滅するだけのことなのです。 発生したものが消滅する回帰現象に過ぎないのです。 それを人間だけが、生まれ変わるとか、魂だけは永遠に不滅だとか、馬鹿げたことを言っておるわけです。 その原因は、自分と他とはすべて共生関係にあるという理解の欠如から来ているのです。 現代医学は、共生関係の相手を拒否する姿勢です。 共生関係の相手と共存する姿勢に変わらない限り、病原体との永遠の鼬ごっこが展開されるだけです。 悩みの病原体に対しても同じことが言えます。 悩みの原因と共存する姿勢こそ、自然治癒力の発揮に繋がるのです。 Chapter292でお話をしましたが、わたしたち人間は共生関係にある相手を憎しみながら生きているから、病気や悩みから解放されないのです。 自分と他との区分けを外し、全体と一体化した精神に常に置いておくことが肝要なのです。 全体と一体化するには、『今、ここ』に自分を置くしか方法はないのです。 ★クリック→新田 論 先生のページへ ★上記の内容掲載に関しては新田論先生の承諾を頂いております。
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